念願の東栄町ツアー・後半


飯田線「東栄」駅舎

「東栄町ツアー」への道のり

ちょいちょい顔を合わせてた某会合の折りに「あら〜河合さん奥三河に住んでるの?前々からゆっくり遊びに行ってみたいと思ってたんだわ!!!」ってやりとりが勃発。じもってぃならではの良いところ&オススメ、そして暮らしぶりが知りたいと思ったの。とっても軽い気持ちで「遊びに行ってみたい。案内してくれる?」とねだる私。気さくに応じてくれて交渉成立。楽しみだな〜〜っとワクワクだった。

その後、お互いの状況変化とコロナ禍がやってきてしまった。しばし停滞、そして、しばし停滞。そもそも観光シーズンや土日ではなく、時間がゆっくり流れているような平日にのんびり行きたいと思ったのが発端。忙しい合間をぬって押しかけててもしょうがない。無理しない無理しない。もっとゆっくり出来る時にしましょうよ。時間はある。とかなんとかやってる内に4〜5年くらい経過してしまったのでした。

でもね、その4〜5年の間に有名なおそば屋さんがあるとか、人気のパン屋さんがあるとかの情報をゲット。奥三河情報がめっきり気になるお年頃状態でしたの。そうこうする内に河合さんが素敵なブログをはじめたのですよ。題して「この人に聞きたい 〜私が奥三河にいる理由〜」。ズバリ、知りたい情報満載。そうなんです、奥三河に興味を持った方は、とっととこちらにアクセスしてください。

思ってたより様々な取り組みにトライしている人がいてビックリに次ぐビックリでした。中央の雑誌というか、いわゆる商業雑誌だとね、キレイな所つーか、書きやすい所だけを書いてるんじゃないの?と疑いたくなる特集ってあるんだよね。あんたの頭の中にあるイージーな田舎暮らし=憧れみたいなのを無理矢理作ってるよねと言いたくなるヤツとかさ。いるいる&あるある。でしょ。メディアの取材も予定調和が多すぎて結構辟易。

その点、奥三河に住んでいるからこその地についたチョイス。これが頼もしい!!ホントにあんな人やこんな人たちがいるんだろうか?と思ってたりするくらいだよ(笑)・・・・・つまり、期待値爆上がりになっていたのでした!!

就職しないで生きるには

私の若い頃に流行ったんですよ、このフレーズ。ズバリこういう洗礼を受けた世代と云える。ジャックスの早川義夫さんが「ぼくは本屋のおやじさん(晶文社)」を出した云々が追体験しやすい例かな。気になる方はググってください。

私の場合は、就職じゃなくて、仕事なんかしないで暮らしたい。でもどうやって?
最初ころのヒントは、アメリカからの通販カタログだったかも。(説明が長くなるので、思いっきり端折ってます/ご容赦)マニアックなレコードが欲しい時はイギリスやアメリカからカタログを取り寄せ、通販で購入する。通販カタログには、業者や個人が混在して何軒も掲載されてた。ネットのない時代。輸送方法は航空便と船便が選べた。支払いは、国際郵便為替とかシティバンクの小切手とか。

そん時にとても印象的だったことがある。レコードリストの代わりに「サマーホリデーを取るから8月は休業だよ」てなコメントに出くわしたのよ。複数あった。ほよ〜〜!!そもそも通販であるからして、実店舗があるとも限らないんだわ。それなのに休業宣言するなんて、思いっきり遊ぶ魂胆なんだなぁとビックリした。今考えると、受注がきても発送出来ないなら休業宣言をしないとトラブルになると解る。しかし、外人って凄いなぁ1ヶ月もホリデーをとるのかよって思いは変わらない。そこですか?(笑)

人生にイロイロ有り、ネット関係のお仕事で再スタートする事にした。そん時にね、最初に考えたのが「8月は1ヶ月休んでしまおう!」だったのだ(笑)。この期間はお仕事を引き受けなければ良いだけじゃん、と思ったのマジで。

もちろん、甘かった。日本の8月にはお盆があるんだな。お盆の期間てさ、大企業は休むけど、小企業はそうとも限らないじゃん。これにめっきりハマったのだった。7月の終わりごろだったと思う、今でも鮮明にこの時の光景が浮かぶ。某大企業の代理店さんからの受注がドカドカきてしまった。机の上がそれらの資料で山盛りになってしまったのよ。曰く、「全部じゃなくてもオッケーなんだけど、お盆明けまでにどのくらい出来上がりますか?」ひょえ〜〜!!

8月は休みにしたいんだけど・・・・言えなかった(涙)。多分、町村合併とかのお仕事をやってた頃じゃないかな。それはもう、受注があるのは有り難いよ。だけど納品時期は融通が利くと思ってたのさ。当時はまだWebページが企業や個人店の必需品的な位置づけでもなかったんだけどね。そ、そうなんだ、納品時期は選べないのね〜と頭がクラクラした。ため息も。

つっても選択権はある。無理です、出来ませんと言えば良いだけだ。しかし、それを言ったら来月の仕事は来ないだろうよ、と思い至る。やっぱ仕事がこなくなり生活できなくなっては困る。やるっきゃないと決断。なんと、そのまま馬車馬の如く走り続ける日々に突入しちゃったのでした。お陰様で約20年くらい走りっぱなしでした。ちゃんちゃん。

得意の長い前置き(笑)。結局、何を選択するかって事だよね。私は当時、あっさり挫折してしまった。やってくるお仕事の選別ではなくて、お仕事がやってこなくなる事への不安が大きいなぁ。会社の持ち味を出すまでに至らなかった感もある。へへへ、こっちが大きいんですよって。でもさ、現在のようなリモートワークな時代だったらどうなんだろ?ちょいちょいっと掻い潜って自分にあった怠け方を見つけたんじゃないだろうか?はっ、怠けると言ってしまってはイカンか(笑)。

私は、そもそもお仕事好きじゃないので、今回のツアー話に出てくる人たちと狙い目は違う。その自覚はあるからね。でもそうだな、お仕事の環境全般を柔軟に捉えよう、慣習に囚われてちゃ駄目だ。自分に合ったスタイルを模索するべきである。ここは同じだと思っているのだった。これからもずっと関心を持ち続けていたいです!!

週末喫茶去「がらん」の事
このブログのスタート時の以下の記事。岐阜県恵那市山岡町で週末だけのカフェをやってた友人がいるの。これって、理想が形になってるじゃんと感嘆だった。毎日働かなくて良いからかな?ノーノー、このご店主さん平日は名古屋で珈琲豆のお店をやってるお仕事人です。働き者である。でも週末になるとお店を閉めてから奥さんと一緒に岐阜まで移動。土日はこの地で喫茶店をやりつつ町内の人たちと過ごすのだそう。喫茶去「がらん」は固定客がついてるようで、しっかり繁盛してました。

「週末は別荘に来て珈琲を淹れてる感じなんだよね。今日は地元の人と花火をやるから泊まっていく?」とご店主さんに気軽に云われてしまう。さすが、13年のキャリア。地元民にも認知され楽しく過ごしてるの図。素敵な生活だなぁと思いました。

※尚、15年以上名古屋から通ってたそうなんだけど、持病も有り、現在はもう止めてしまわれた。

「ベッケライ・ミンデン」の事
奥様が豊根村で暮らしたかったからと、こちらに2008年に開店したベッケライ・ミンデン。かなりな山の中でした。ここでパン屋さんを始めようと思った事も凄いし、繁盛してる事はさらに凄いと単純に思います。しかし、私の場合は、どんなに美味しくても一人では買いにはいけぬ。電車で2時間はともかく、駅から車で30分くらいあったんじゃないかな?駅前にタクシーはなかったし、レンタカーもないそうだ。歩いてはたどり着けません。だからモチロン、車でブイブイの方々が奥三河エリアをはじめとして、豊橋、岡崎、豊田、名古屋、浜松から来てるって事になるのでしょう。ファンの方々のなかなかな行動力に驚く。
美味しいからまた食べたい!だから、遠くからでもやってくる。それが持続してる。素敵だね!

同行の友人が切り分けたシュトーレンを持ってきてくれちゃいました。やった。今まで食べてきたシュトーレンよりずっと柔らかかった。これはイケルと驚きだった。しかし、シュトーレン歴は長くないのよ。だからバイヤスがかかった感想かもだ。へへへ。

朝市・つながるマーケット・雨の日商店街
豊橋の水上ビルのアーケード下で開かれてる「朝市」や「つながるマーケット」や「雨の日商店街」。これの出店者は若い人が多いのですよ。キッチンカーを使ったり、屋台だけとか。そして、あっちのイベント、こっちのイベントと渡り歩いているのか、チョイスして出店しているのか、私では解らない。ともかく、好きな仕事を楽しそうに続ける仕組み、これは従来より選択肢が増えてるように思う。持続させることだけに固執しないスタイルとかもだね。

彼らには彼らなりの着地点があるのかな。どうなのでしょう。さらに、イベントそのものの広報ね、ポスターやチラシを使う従来のアピールだけではなくて、SNS(Line含む)も使い方は様々かと。まだまだ転換期でいろんな攻略方法が有りそう。そんなこんなな今後の展開を楽しみにしているのだった!

「ちょっとそこまで」や「ついで」の距離感

さてさて、一回のツアーで、何かが解るような事でもない。しかし、今まで見てた冊子などの奥三河特集について、疑問に思ってた事柄の内少しはみえてきたかも。住民が少ないのにとんがったショップが多いみたいだわ。なんで?と思ってたの。これ私が思ってたよりエリアが広そうでした。今回の「ミンデン」と「やま正」と「Cafeのっきぃ」の距離!!!びっくりするくらい遠いと思った。

冊子やフリーペーパーなどで見た時には、歩いて数分で行けるように思ったんだわ。都会っ子ぶりっこですいません。そうではない。AショップとBショップは車で30分の可能性があるじゃん。豊橋で車で30分離れてたら、場所によっては豊川まで行けてしまうもの。ちょっと寄ってね?なんて簡単には言わないよ。会話としては「もし豊川まで行くついでがあったらお願いね」「オッケー」って感じ。

つくづく車社会なんだなぁ。車あってのテリトリーなんじゃないかと思ってしまった。そしてね、奥三河の方々は、そもそも「ちょっとそこまで」も「ついで」も、豊橋の民とは大いに距離感が違うんじゃない?なんてね。どう?どう?

※さらなる過去記事
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