クラシックホテルに泊まる

古い建物に出くわしたシリーズを始める事にしました!神社仏閣は古くて当たり前なので、このジャンルには含みません。今までの旅でいくつか面白かったり、変だったりな建物に出くわしてるので、順次掲載してゆきます。

少し想い出を語ってみるね。もともと木造建築のいわゆるクラシックホテルが大好きなんですよ。

富士屋ホテル/箱根

1973年ごろ宿泊。最初に攻略したクラシックホテルです。箱根登山鉄道で宮ノ下に着いて、駅からトコトコと歩いて行きました。その頃でさえ、そこここに時代錯誤感が満載。絶えて久しい皇族や有閑階級の客をひたすら待ってる雰囲気がホテル中に充満していて、そら恐ろしかったです。庶民は眼中にない光線がしっかり突き刺さりました。すいません、昨今の様子はまったく知りませんのよ。

そうでした、客室のドアがとても大きくてよっこらっしょと開閉する感じ。外人サイズなんだなぁと感嘆しましたけどね。天井が高くて居心地の良いお部屋でした。確かベッドも大きめだったかと。

お食事は、竜宮城のようなダイニング。ハイシーズンではなかったからか、ガラ空き。問答無用でフルコースだった。スープボウルで持ってきてレードルでサーブしてくれるタイプでしたね。そのころは当然なスタイルなんじゃないかなぁ。黄金色に輝くコンソメスープで、ホテルつったらこれがなかったら始まらないでしょうという気概がひしひしと伝わりました。どうだ、田舎もんめ、まいったか!と言わんばかり。慇懃無礼の見本なりけり。まあね、他は何も覚えてなかったりするのよね、へへへ。若輩でしたので、大人のふりをするのに忙しかった。

蒲郡ホテル(プリンスの経営になる前)/蒲郡


蒲郡ホテル/1976年

1974年ごろと1976年に宿泊。憧れのホテルだった。隣町なので旅費かからないでしょ。ちゃんと狙い撃ちしました。部屋数は少なかったけど、お値段は高くなかったのだ。なんと手動式のエレベーターを使って客室へ案内してくれましたね。大感動だった!ヒッチコックの映画みたい〜。スタッフは年配の方ばかりで、昔ながらのメイドさんコスチュームだったから、マジで時が止まってるようだった。それはそれは丁寧な物腰で、暖かく迎え入れてくれたのよ。良い意味で年季が入ってるってやつ。

ゴールデンウィークの頃は邸内のつづじが満開になって壮観です。この時期にはいくつかある離れを使い盛大なお茶会が開催されたりしました。昭和天皇が泊まった部屋も有ったと思う。離れからの眺めはとても優雅だったです。時期がちょと曖昧なんだけど、お茶会だけに行った記憶もあるのだった。

このホテルは、後に石坂浩二さんがドルリー・レーン役(和名は違うわね)をやったエラリー・クイーンの「Yの悲劇」のお屋敷に使われたんですよ。TVドラマですね。古いお屋敷の設定にはぴったりじゃんと思ったし、ちゃんとドラマも堪能した。クイーンもこの3部作や国名シリーズは、殆ど読み倒してたから犯人解ってて安心して観てたような。いや、犯人が原作と違ってたりする時もあるんだけどね。このドラマはどうだったかな?覚えてないけど、原作以上に意表をつく犯人はいないよなぁ。同じだったと思う。

ロビーも客室もどこをとってもため息が出るほど、ほんまもんのクラシック。めっちゃ素晴らしかった。館内をたっぷり散策して楽しみました。ただ実は、バスタブはこれはないらぁってタイプのブルーのポリバスでリフォームしてて、食事も洋食風という感じだった。つまり傾きつつあるクラシックホテルという風体は否めずでした。

でもね、箱根で燦然と輝く富士屋ホテルとは地の利が違うよね。紡績産業が衰退した蒲郡という地にあって今後このクラシックホテルががんがん発展するとは思えなかったのだ。そう、閉鎖になっちゃってから、行っておけば良かったと思う事って良くあるでしょ。確か、三笠ホテルが廃業したりしてたから、いかん早めに行っておこうと奮起したのよ。

だからね、木造のクラシックホテルが、時代を超え、殆ど手つかずの状態で営々と使われている現場に居合わせた事をしみじみしみじみ幸せに思ったのでした。眺めるだけじゃなくて宿泊できた、間に合ったぞっと!という印象なのです。イエ〜イ!!自慢!

六甲山ホテル/神戸


六甲山ホテル/1976年

1976年宿泊。これも自慢!今でもこのホテルはあるんだね。なんと私は当時でさえ旧館と言われた木造のクラシックなお部屋に泊まったのです。旧館なら空いてますと言われて、おおお!と思わず電話を持つ手が震えたような記憶があるもん。なんつってもね、バスタブが「猫足」だったんだよ、凄いらぁ!!ベッドも特徴的なパイプ作りで感動した。お部屋のランプも見事にクラシック。やっぱハイカラな神戸だけの事はある。本物の「西洋」だなぁと勝手に感嘆してた。

でもねカーペットはかなり傷んでいたし、棟そのものを臨時としてしか使っていない感が漂っていましたね。ほこり臭かったので、におい消しにタルカムパウダーを振りまいたりしたよ、なにやってんだか。夜半はひっそりとしていて、誰もいないかもと怖かった。「シャイニング」を思い出さないようにしてたくらいだもん。いやぁ辛くも間に合いましたねぇと思ったけど、お情けで泊めていただけたようなシコリもある。書きながら、贅沢を言ってる場合じゃなかったなぁと反省だけどね。

この時は、新館が出来たばかりで、レストランも含めて売りはそちら。ホテルとしてはしっかり繁盛していましたし、ゴージャスな100万ドルの夜景だったですよ。

奈良ホテル/奈良

最初に接近遭遇したのは1972年ごろかなぁ。OL時代の社員旅行で、奈良ホテルの敷地内にあった国鉄の保養所に泊まったのだ。あら、奈良ホテルに泊まるんだ!凄いと思ったら、するするっと脇道へ降りてしまい鄙びた保養所へ、がくっ。勤め先はね、国鉄と関連深い会社だったのよ。翌日だったと思う、出発前にロビーだけでもと皆で見学したのだった。

ここからは現代ね(笑)。2010年6月に攻略しました。既に改修の手が入っているのは知ってたので早めに制覇しておきたい。外観だけでもちゃんと見ておきたかったのだ。でもさ、いきさつは忘れてしまったんだけど、これまた旧館に泊まったのです。古い客室に縁のある体質なんですよ、なんてね。

廊下は広くて素敵でした。ロビーの一部も残してあり当時の様子が見学できました。でもお部屋は狭かったなぁ。暖炉があったかもしれん。でもね、洗面とかお風呂とか、ともかく狭くて使い物にならない感じ。嬉しかったけど、複雑な気持ちだった。

奈良ホテルの対応なんだけど、庶民は相手にしません光線ばりばりだったなぁ。富士屋ホテルに泊まった時は、「逗子なぎさホテル」はまだ有った時代で、湘南族とかそれなりなお金持ち層はいたかも。待ってても来ない階級を勝手に待ってたい気運も解らないではない。しかし、2010年でそれはないのだよ。フロントやレストランなどいろいろな場面で行き届いてなかった、駄目だコイツらって感じ。怒り心頭で写真全然撮ってない。

ちょっと加筆。自分が優遇される側か、そうでない側なのかではなくて、お金を持っていそうな人たちをあからさまに優遇する態度を見るのがキライ。さらに、差別しているんですよと上から目線光線を発する人が存在することも受け入れられないなぁ。ホテル恐るべしなのかも・・・と思ったものです。

でもね、あまりにウケたので、1枚だけパチリ。当時会社でやってた日替わり日記にも書いたんですよ。笑い倒して憂さ晴らしだよ。再録しちゃいます。

さて、本命の奈良ホテル。うーん、お部屋もお料理も期待はずれ。めげたので証拠写真は無し。廊下は広かったけどね。時間が止まったようなという言葉は良くも悪くも使われると思うケド、ここの場合は後者ですかね。

ラウンジで連れがいただいた紅茶ポットのみ激写。涅槃に横たわる大仏さまですか?横に寝ていらっさってビックリ。ボーイさんがこんなものを澄ました顔で持ってくるんだよ。吹き出しそうだったけど、必死でこらえまちた。[2010.06]

軽井沢万平ホテル/軽井沢

奈良ホテルと相前後した時期に攻略した筈なんだけど、写真が見つからず宿泊日は不明。館内に資料室みたいなのが有り見学は出来て、そこには当時はさぞかしと思われる調度品などもあり昔日の面影をとどめてます。ジョン・レノンの写真も飾ってあった。

何度かの改修が入っていて、棟もお部屋も新築だったからクラシックホテルに泊まったとはいえない印象。古めの客室も残っているような感じではあったけどね。食事は美味しいし、ロケーションも良いし、快適なホテルだった。つまり老舗ホテルとしての貫禄充分、軽井沢の地に君臨しています。立派な現役です。

そして、クラシックホテルの旅は続く・・・

日光金谷ホテルは是非とも早めに攻略しておきたい。積年の想いなんだけど、遠いなぁと思ってしまいなかなか行けない。こんなこっちゃあかん。どこかで気合いを入れよう!それと、雲仙観光ホテルも泊まってみたいんだけど九州まで行く用事がまったくないのだわね。どうなるかなっとぉ。あとね、クラシックホテルの範疇ではないかもだけど上高地の帝国ホテルも攻略対象としているのだった。

※さらなる過去記事
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